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2008年02月25日

家老って

若い人はいなかったんですかね?

家老(かろう)とは、武家の家臣団のうち最高の地位にあった役職で、複数人おり合議によって政治・経済を補佐した。

武家社会の勃興した鎌倉時代よりみられるが、室町時代までは年寄(としより、おとな)・宿老(しゅくろう)・執事(しつじ)などと呼ばれた。通常、家臣団の中でも重臣と呼ばれる有力な家臣が任ぜられる。また、主家の譜代家臣が任ぜられるののが通常で、主家の分家などの一門の者が家老職に就くことは通常無い。分家筋で家老職に就くことは、主家の親戚から家臣になったことを意味し、主家断絶時の相続権が無くなったと見なされる事が多い。

江戸時代になると、幕府の置かれた江戸には、各藩・将軍家の旗本屋敷(江戸屋敷)が置かれ、ここに在勤した家老を江戸家老・江戸詰家老などと呼んだ。
一方、知行地に在勤した家老を国家老・在所家老と呼んだ。主君が城主以上のときは城代家老も置かれたが、主君が城主格や、陣屋のときは、城代家老は、当然に設置されなかった。城代家老と、国家老の両方が設置されているときは、城代家老のほうが格上なのが通例である。複数人いた家老のうち最も地位の高いものは筆頭家老または家老首座といった。政治・経済の中心となって差配する家老を藩によっては、仕置家老と呼んだ。城代家老と仕置家老が併置された藩にあっては、どちらが格上かは、一義的に断定できない。

家老は、御三家の付家老や、御三卿付きの家老を除き、将軍の陪臣であるから、将軍に謁見の資格がないのが大原則である。
しかし、例外もあり親藩や、譜代大名の家老連綿の家系の多くには、幕府から、将軍家の旗本の格式を与えられ、将軍に謁見の資格を持ち、関所で下馬することを免除された。
徳川四天王の家老の中には、旗本の格式だけでなく幕府からも併せて家禄を受ける場合もあった。
一方、外様大名の家老連綿の家系の場合は、将軍に謁見の資格を与えられるのは、極めて稀な例であった。

江戸時代になってから諸藩に設置された年寄(としより、おとな)と呼称される役職は、家老そのものではなく、家老に次ぐ役職である場合が一般的である。小藩の場合は、年寄は、置かれないことがほとんどである。
江戸時代初期までは、家老と年寄が未分化である藩もあったが、次第に明確に分化した。年寄職と、中老職が同義として、使用される藩もあった。
(以上、ウィキペディアより引用)

絶対おじいちゃんですよね!

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